ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

お父さんと私⑯ 父への抑圧していた思い

父が亡くなった。
深い悲しみの中にいる時がある。
けれど同時に
自由への開放を感じる時がある。
そんな自分に嫌悪した。

父はよく、「自分は長くない」と子どもだった私たちに言う人だった。飛行機に乗って出張に行く前日、「飛行機が落ちて死ぬかもしれないから覚悟しとくように」と言われた。それが冗談だったのか、本気でそう思っていたのか、父の心はわからないが、素直な子どもの私は真に受けた。お父さんが死んでしまうと思うと、怖くて怖くてしかたなかった。

お父さんが無事に帰ってきますように、とお祈りした。
身体がよくなりますように、とお祈りした。

そんなけなげな子どもの自分を思い出した。

仕事のイライラを家庭に持ち込む人だったので、機嫌が悪いときはそっとしておいた。
お酒を飲み過ぎる人だったので、酔ったときには傷つくようなことも言われるし、自分の話しかしなくなるので、逃げるように部屋に帰った。部屋までくるから、寝たふりをした。

父はバラエティもドラマも嫌いなので、いつもNHKのニュースが流れていた。父の批評付きでそのニュースを見ていた。どうしても見たいテレビ番組は全て録画した。

髪の毛を長くすると、似合わないと言われたので、いつも短かった。

女の子のような恰好をすると、嫌な顔をされるので、なかなかできなかった。

身体つきが女性に成長していくと、「女になっていって嫌だな」と言われたので、自分の身体が女性になっていくことに、嫌悪感があった。

大学生の頃、家を出た。一人暮らしをした。はじめ、友達ができるまでは孤独感もあったけれど、

居場所を見つけてからは、とても解放されていた。自由だった。

髪を伸ばしてみた。化粧をしてみた。おしゃれをしてみた。眉を整えて、爪をやすって
そうやって、やってみたかった「女の子」を表現することができた。

好きなテレビをリアルタイムで観た。

鬱になった時、やはり傷つくことをたくさん言われて
何度も泣いた。

それでも私は、お父さんが好きだった。
生きていてほしいと思った。
お父さんは私の理解者だと思っていた。
指針にしていた。

でも、わかった。

私はたくさん傷ついていた。

私はたくさん、自分を殺した。

お父さん、大好きだから、そんなに悲しいこと言わないで
お父さん、大好きだから、私をそのまま肯定してほしい。

私には、そういう思いがあったと気が付いた。

なぜだろう。この頃の私は、お仏壇に全くお線香をあげなかった。おじいちゃんとおばあちゃんだけの時は、毎日のようにあげていたのに。父が入った仏壇に、お線香をあげる気が全くなくなった。

 

 

今、自分自身が親になってこのような回想をすると、果たして私は娘を傷つけるようなことを言ってないだろうか、と心配にもなってしまうけれど、それと同時にわかることもある。

鈍感になった(強くなった?)大人の心では理解できないほど、子どもの心は素直で純粋だということ。

自分の子どもに、知らず知らずのうちに理想を押し付けようとしてしまうことはほとんどの親に起こることだということ。

これは私の父だけではなく、少なからずそういうことは起きるものであるということも知り、特段自分が可愛そうな幼少期を送ったとも思っていないが、父が亡くなって少し日が経った時期、このような抑圧していた思いが湧き上がってきた。これもまた、死を受け入れるひとつの過程であり、必要なものだったと思っている。

私は”今”、”そこ”にいないだけ ~並行宇宙理論から見る~

わたしは”今”、”そこ”にいないだけ。

体罰をする人
虐待をする人
人を殺す人
人を殴る人
人をだます人

ひどい、やめて、と思うこと
いつかの私は、きっとやっていた。

きっとやっていた時がある。

今。

”今”の私は、

私は、”そこ”にいないだけ。

今の私は、”そこ”にいないことを選んだ

今の私は”そんなことやめて”ということを選んだ

今の私は”そこ”から逃げることを選んだ

ただ、それだけ。

だから、
体罰をする人
虐待をする人
人を殺す人
人を殴る人
人をだます人

と、私に、何の大差もない。

演じているものが、違うだけ。

体罰をする人
虐待をする人
人を殺す人
人を殴る人
人をだます人

今も彼らが、”そこ”にいても、

いつかの彼らは、人を救っている。

どこかの彼らは、人を助けている

どこかの彼らは、自分をとても愛している

私が今、”そこ”にいないなら、”そこ”にいる人に、「違うよ」っていう番なのかもしれない。

”そこ”にいる人に、「大丈夫だよ」って抱きしめてあげる番なのかもしれない。
だけど、”今”そういう番なだけ。

いつかの私と、いつかの彼らは、逆の役割を演じていたのかも、しれないよ。

今起こっている戦争に対しての話ではありません。
友人との話でふと降りてきた言葉です。

お父さんと私⑮ 深い悲しみの中

49日の間、私は悲しみというものがそれほどなかった。
しっかり泣いたのが良かったのかな。

そんな風に思っていたが、49日を過ぎた頃、猛烈な悲しみが押し寄せてきた。
仕事をしていても、ふと気が緩んだ瞬間、
父の苦しんでいた顔を思い出し、
ボロボロと涙がこぼれた。

父は今、どこで何をしているのかと、考える日も多かった。

周りの人に話しても、
「まだ引きずってるの?前を向かなきゃ!」
そのようなことを言われるばかりで、ずっと悲しみの中にいる自分がおかしいんだと思うようになって、人に話すのをやめた。

「家族は永遠だからね。今もそばにいるし、また生まれ変わって出会えるのよ」そんなことを教えてくれる人もいたが、実感が湧いてこなかった。実感が湧かない言葉は、言葉を超えることができない。知識で入れても、なんの救いにもならなかった。

こんな私を心配してか、父は私の夫と未だにコミュニケーションが取れていた。お仏壇の前で手を合わせると、夫と父は話をする。
それは嬉しいことではあったが、このことを周囲に話すと、人によっては怖がる、ということも知った。だからもう話すのをやめた。
夫と話ができるのはありがたいことではあったが、自分自身が父と話していないので、やはり寂しさがあり、納得のいかなさもあった。

身近な人の死というのは、みんな、経験してみないとわからないのだ、と知った。だから、誰かとこの気持ちを共有したいという思いも、諦めた。周りにそのような境遇の人がいなかったから。

そうして、孤独になった。私の悲しみは、私にしかわからない。私のことをなんて、誰にも理解してもらえない。

とてもとても深い悲しみの中にいるのに、誰にも心を開くことをしなかった。「怖い」と言われ、「前を向け」と言われ、「家族は永遠」だと諭される。そんなものは、あの時の私にはどれも必要なかった。

仕事を無理にでもやめさせれば
抗がん剤の治療を拒否していれば
私にはもっとできることがあったんじゃないか
もっと治療法を探していれば

あの時精一杯やったことですら、全てを否定して、「こうしていれば、もっと違ったんじゃないか」という
病院を責め、
父を責め、
母を責め、

最終的には、自分を責めていた。

父がこんなこと、望んでいないのは、充分承知だったけれど、父のことを思えるほど、この時の私には、余裕がなかった。

あの世の存在もこの頃はまだ、明確ではなかった。死んだ人がどのようになるのかも、興味が湧かなかった。死んだら、終わり。そういう意識でいたように思う。だから、空虚感が酷かった。

ただただ、
父が苦しんで死んでしまった。
まだ若いうちに死んでしまった。
かわいそうだった。私はなにもできなかった。
この感情と思考の中から、抜け出すことができなくなった。

じわじわと訪れた悲しみの波にのまれながら、日々を生きていくしか、できなかった。

花束みたいな恋をした 感想文④

最後です!私的解釈を含んだネタバレになってます。いろんな面で笑ご注意ください。

 

 

恋愛感情がお互いなくなってしまった二人は、友人の結婚式が終わったら、別れることをそれぞれ決意する。

決意してみたらどうだろう。今まで遠慮して言えなかったこと、楽しめなくなっていたことが、意図も簡単に出来るようになった。

初めて観覧車に乗って

ミイラにはひいてたよ

ガスタンクには興味なかったよ

それでもカラオケでは二人の好きな歌を一緒に歌って

なんだ、俺たちは終わってなかった。あの頃に戻れた。そんな風に感じた麦と

楽しいのは今日だけだよ。今日決めなきゃいけないよ、と言う絹。

恋愛感情なんかなくたって、結婚して、一緒にいたい。家族になるなら恋愛感情なんかいらないでしょ、ハードルなんて、下げたっていい。こんなもんかって、諦めながら生きてくのも悪くないと、訴える麦。

なんで恋愛感情がない人と結婚するの?ハードル下げて、やりたくないこともしょうがないと思いながらやるの?疑問をもつ絹。麦の言葉に、説得されそうになるが、その表情に家族になる嬉しさはない。

そのタイミングでやってくる、若いカップル。お揃いのスニーカー、好きなバンドの話をし、お互いのことを考えていたと伝え合う。

相手のことが気になる。相手のことが知りたい。

相手の世界が、自分の世界と重なり合った時、喜びが弾ける。

何かが始まる予感がして、心臓が鳴った。

 

あれは、出会った頃の自分たちだ。

 

今、5年分の二人の軌跡が、ひとつひとつ、思い出された。たくさんの笑顔、たくさんの楽しさ、愛おしさ、、それは走馬灯のように、すごい速さで、しかししっかりと、思い出された。それらの軌跡はひとつひとつ、美しい花となって咲き、やがて大きな大きな花束となった。とても美しくて、眩しい。

 

若いカップルの話を聞きながら、涙が頬を伝う。

眩し過ぎた日々を、絹と麦は二人で生きた。

そしてそれは、「過去」になるということも、二人は理解した。

二人は「大切な日々をありがとう」という気持ちのこもったハグをして、別れることを選んだ。

 

1年後、お互い別々の恋人といる時に、ばったり出会う。(大人になったからか、ファミレスじゃなかった)。

久しぶりに会った二人だが、言葉を交わすことはない。

二人だけの日々を知っているのは二人だけなのに

頭の中では巡るのに

その相手と、もう話すことはない。

二人の日々が本当に存在していたのか。

確認できる、相手がいない。

そんな時、「二人の日々は存在してたよ」と伝えるように

ストリートビュー

川沿い

トイレットペーパーと、花束を抱えて、焼きそばパンを食べている、二人の姿がうつっていた。

 

おわり

 

ファミレスのシーンは、3回観て3回泣いたシーンでした。菅田くんと架純ちゃんの演技が余りにリアルで、、彼らはなんで泣いていたのか。

私ごとと重ねると、それは大学卒業の時に遡ります。

一番の居場所であったサークルを卒業する。4年間の活動のスライドショーとか後輩が作ってくれたの見て、涙がぶあーーー。

卒業したくないけど、留年してまで残ろうと思わない。(終わりであることを理解してるがあまりに思い出が輝きすぎている)、あの、感覚なんじゃないかと。

とか思っていたら、有村架純さんがインタビューで素晴らしいこと言ってました。

例えば、今回の映画と同じ、有村架純が演じた『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)のヒロインは、「恋」をこんなふうに表現した。
「二度と戻らない時間の中にいるって。それぐらい、眩しかった。こんなこともうないから、後から思い出して、眩しくて、眩しくて、泣いてしまうんだろうなって」

はい。これでした。答えはこれです。

 

そのあとも、絹の新居が決まるまで、二人の生活は続きますが、吹っ切れたおかげなのか、一緒にご飯食べたり、映画を観たり、する日々が戻ってきます。麦も映画観て笑ってる。良かった!また、暴露話もできたり。お互い遠慮しない生活がようやくできたのかな。

何度も出てくる花瓶に生けられた花の意味があるなら教えてほしい。

絹と麦が住んだ部屋(絹の実家や絹のひとり暮らし?の部屋にも)には、いつも花瓶に花が飾られていました。シーンで違った花が飾られていたので、シーンに合った花言葉をもつ花が飾られていたりするのかな?(深読み)

お花に詳しい人、是非じっくりと観てもらって、解説していただきたいです!(勝手な希望!笑)

 

麦くんは社会に出て変わったのか?

麦くんは社会に出て価値観が変わった、、とは思いません。人はいくつもの顔を持っています。社会という環境に身を置いたときに、学生の時とは違う面の麦が顔を出し、一時的に色濃くなった、ということだと思います。自分の様々な面を発見し、それらを受け入れ、自分を統合していくことこそが、人生の成長です(あかん。いきなりスピリチュアルっぽいこと言った!笑)。今まで表に出ていた、感性の高さ、純粋さ、優しさ、社会に出て見えた責任感、真面目さ、不器用さ、、また、田舎から出てきた麦にとって、男が養うべき、という価値観も持っていたのでしょう。全てが「麦」なのです。

そう思うと、もう少し二人が辛抱して、仕事が楽に感じたら、自然に学生時代の麦くんも顔を出したんじゃないかなぁ~とちょっと思います。まあ、恋愛感情がなくなったら辛抱も何もないよね。別れなんてこんなものか。

麦の言う通り、恋愛感情ない夫婦はいっぱいいるかもしれません。けれど、結婚してからなくなるのと、結婚する前からないのとでは、話が全く違うよね、と思いました。。

最後、学生の頃の麦くんも顔を出しはじめます。

「あの時食べた焼きそばパンが食べたくなって、ストリートビューで検索した」と語っているので、閉店したことを知らない様子。やっぱりあの時は絹の話が頭に入って来なかったのね。。

ストリートビューで大はしゃぎする姿は、学生の頃の麦と同じ。ほほえましいラストです😊

 

すっごい長くなったけど、これでおわりです。消化されました!

見に来て下さった方、ありがとうございました❤

花束みたいな恋をした 感想文③

だいぶ消化してしまったので、これとあと一本でおしまい。

ネタバレ含みます。ご注意ください。

 

 

就活を経て、ようやく就職できた二人。今の生活の現状維持が目的で始めた就活でしたが、社会に属するということは、今まで通りいかないこともたくさん出てきます。

特に麦は、人に対して素直な性格というのもあって、期待されたら応えようと思うし、上司との付き合いにも行くし、それに対してやりがいのようなものも感じ始めます。

とはいえ、今までいた世界とは全く違う世界。やったことのない仕事であれば、覚えるまでは大変だし、取引先に土下座しなきゃいけなかったり、同僚の起こした事件の対処に追われたり、、、「やりたくないこと」もやらなければいけない立場になります(しかも性格上、真面目にやります)。家でも仕事、家に帰らずに仕事、、、そんな日々が続き、今まで絹と楽しめていたゲームも小説も漫画も、興味を失ってしまいました。

一方、絹は、二人の「楽しい生活」の現状維持を目的にし続けます。仕事のオンオフをしっかり切り替え、アフター5は自分の趣味に。仕事場の付き合いもそこそこ。以前とかわらず、小説や映画、ゲームなどを楽しみます。しかし、麦とその楽しさを共有できないことや、麦が自分の知らない世界(麦の仕事)に家でものめり込んでいくことにより、絹は麦との距離を感じるようになりました。

現状維持できたのは、金銭的な部分だけで、一番大切だったはずの二人の楽しい生活は、次第に崩れていきます。

麦との楽しみを共有できなくなったからか、絹は仕事を仕事と割り切ることを辞め、仕事にも楽しみを求めることに決めます。絹は麦への相談なく、イベント会社の派遣社員へと転職しました。

そのことが原因で二人のけんかと、けんか中にプロポーズという事件が起きます。

心理学とか精神世界とかに詳しい人はこのシーンを観て解説せずにはいられなくなったかと思いますが、麦は、絵の仕事(やりたいこと)を諦めてまで絹との生活のためにやりたくもない仕事をやっているというのに、絹との生活のためなのに、絹のためなのに、その絹は、今、自分が諦めた未来(やりたいことを仕事にする)を選んでいる、、、、麦の奥底にしまい込んだ本音が怒りとして出てきちゃった場面でしたね。この時麦が絹に言った、「やりたくないことはやらなくていいよ」は、学生の時に絹に言ったそれとは、全く違うものになってしまっていました。今回言ったこの台詞は完全に冒頭に登場した焼肉男子に繋がります。「余裕のあるように見える男は、たいていこちらを見下してるだけ」。「結婚しようよ」も、絹にとっては見下された感覚があったのではないでしょうか。(その前から見下しシーンは何回かあったように、私は感じた。クリスマスのシーン)。

麦の考える現状維持が目に見えるもの(お金があって二人の生活が続けられる)だったのに対して、絹の考える現状維持は、目に見えないもの(二人で楽しみや愛しさを共有する時間)だった。何故、このまま現状維持のためにもう一歩踏み出さないの?と思う麦と、何故、現状維持できていない(コミュニケーションは頻繁にとりたい、と伝えてあったのに、それが減っている状態で何故結婚??)この状態で進めようとするの?と思う絹。だんだんと気持ちのズレが生まれます。

やっぱり思うのは、コミュニケーション不足です。二人は思うことをそのまま相手に話したら良かったのに。ただ、思うことを話すためには、自分が何を思っているのか、何を大切にしているのか、自分自身が認識している必要があるので、認識不足だと、話し合いすることも難しかったのかもしれません。

良くも悪くも、仕事を頑張り過ぎて、趣味をやっても全く集中できない、、、この経験、いたいほどわかるから、麦の気持ちもわからなくないです。イタい場面でした。。

二人の溝が決定的になった出来事が起きます。

麦の先輩の死。

「お酒飲んでお風呂で寝てしまって死んだ」。絹の母が社会とはお風呂のようなもの、と麦に説いていたように、この映画では、社会のことをお風呂と表現しています。

社会を敵だと言っていた先輩がお風呂(社会)で死んでしまう、、、社会との繋がりを捨て、アートだけで生きていくことができなかった、という結果の比喩表現のように思えます。麦の人生への答えが、この比喩表現で表されたのではないでしょうか。

麦は、先輩のことを「酔うと海に行こうと言う人だった」と言い、

絹は、「酔うと女の子に絡む人だった。彼女に暴力も奮った」と言います。

先輩への思いに温度差があると気がついた絹は、麦の悲しみに寄り添えないと感じ、一人寝てしまいます。一方、絹も同じように先輩の死を悲しんでいると思い込んでいる麦は、今晩は先輩の話を二人ですることを期待しましが、その希望は叶いません。

そして次の日、二人は思いました。

「どうでも良くなった。」

相手に期待すること

相手のために、という思い

仲を回復しようとすること

二人の生活の維持

結婚

そういう、二人の間の全てが、どうでも良くなってしまいました。

次回、結末になります。最後、ファミレスの涙について考察したら、私はすっきりこの映画とさよならできます。笑よろしければ今しばらくお付き合いください😊

花束みたいな恋をした 感想文②

「花束みたいな恋をした」。巧妙な演出、付せん回収や、主人公たちのな心の変化を感じる言い回し、細かい仕草、そして自分自身へ投影してしまうことによるえぐられたような切なさ。そういったものを消化していくべく、感想文を書こうと思います。

物語の展開も書いていくので、ネタバレになります*1ご注意ください。

 

 

同棲開始、卒業、フリーター時代

付き合いたての二人は、毎日幸せいっぱいの日々を送ります。けれど、いつまでもその幸せだけに、身をゆだねているわけにはいきません。絹の就活がはじまります。日々重なる就活のストレスで駅で泣いてしまう絹。泣いている絹に「やりたくないことはやらなくていいよ。ここにいればいいじゃん」と、麦は同棲を勧めます。特に就きたい職もなかった絹は、就活を辞め、麦との新しい生活を始めます。大学を卒業後、二人はフリーターとして社会とつながりながら、二人の生活を続けます。絹はアイスクリーム屋さんでアルバイト、麦は、自分のイラストを仕事にしたい、という学生時代からの夢があり、イラストの仕事と、実家からの仕送り、アルバイトでやりくりしていました。

楽しい同棲生活も、雲行きが怪しくなっていきます。何も変わらない二人の世界とは正反対に、周囲の人の変化が目に付くようになる麦。ファミレスでウエイトレスをしていたお姉さんは、プロのアーティストとして売れ始めました。

そして、追い打ちをかけるように、絹と麦の親が次々に二人の家を訪ねてきます(まあそりゃあ親としては、そうしたくなるでしょう)。絹の母親からは、「ちゃんと社会に出るように」プレッシャーをかけられ、麦の父親からは、「家を継がないなら仕送りを止める」と宣告され、月5万円の仕送りがなくなります。

「好きな人や好きなものに囲まれて、ただ楽しく生きていればいい」という、学生時代から続いた生き方が、徐々に難しくなってきました。

麦のイラストの仕事はというと、なかなかうまういきません。そんな時慕っていた先輩も、自分の才能(アート)では、全く生活できておらず、付き合っている女性に大人の仕事をさせていることを知ります。これらのことを通して、麦は自分の才能(イラスト)だけで生活することの難しさを痛感します。

「絵を仕事にして、絹との楽しい生活を続ける」。それが麦の理想とするところだったと思いますが、イラストで稼ぐことができない現実を目の当たりにした時、「絹ちゃんとの今の生活を維持したい」という思いを最優先することにしました。一旦絵を描くことを辞め、就職することを決意します。

 

駅から徒歩30分の新居に、毎日コーヒー片手に二人で30分かけて帰ってくるシーン、やきそばパンを歩いながら食べるシーン、二人で漫画を読んで涙しているシーンは、幸せそのもの。でした。実家に帰りたくなくなるほど、二人の生活を最高に楽しんでいた感じが伝わってきます。これぞ恋愛映画!!

 

周囲の変化や助言に揺れ動く麦と、動じない絹。無視できないお金事情

この、フリーター時代のシーンには、劇中後半に効いてくる名言(?(笑))が飛び交って、それが麦の価値観や気持ちを動かしていきます。

絹の母は言う。「社会っておふろみたいなものよ」「生きるって責任よ」。

先輩は言う。「負けんなよ。協調性とか社会性とか、才能の敵だから」。

この正反対のセリフを同時期に言われた麦。麦の優しくて真面目な性格に加え、「絹と一緒にいる」ということは、男としての責任みたいなものも感じていたのではないでしょうか。だからこそ刺さってしまう母の言葉。絵の仕事がうまくいかないことで、ふがいなさや焦りも感じていたかもしれません。そこに仕送りも止められ、生活していくためのお金問題が無視できなくなっていきます。

麦は先輩に、「絹ちゃんにもお店紹介してあげようか(彼女に稼いでもらって絵の方頑張れという先輩ならではのエール)」と提案されますが、そんなこと微塵も考えません。それが彼の優しさであったり、まっとうな人であったり、自分の絵にそれほど自信をもっていないということであったり、いろんな「麦」という人が表現されているのでしょうが、とにかく絹に頼ってまで絵を続けることを選びませんでした。同じ芸術側にいても、先輩と麦の価値観は違っています。

一方の絹ちゃんはというと、親が来て何を言われようが、何のダメージもくらっていません。昔から言われてきたからかもしれませんが、絹の母親の言うことも完全スルーしていましたし、仕送りが止められても、節約すればいいや、って感じでした。私なんかは言われたら考え始めてしまう麦タイプなので、絹ちゃんすげえーな。ってなりました(笑)。

周囲からの様々な刺激に心が動き、最終的には夢を一旦手放して就職することを選ぶ麦と、周囲の変化などお構いなしな絹。

絹は麦から就活宣言を受けて初めて、二人のお金事情に向き合い、ならば私も、と簿記の資格の勉強を始めます。

絹の母と先輩の生き方。どちらが正しい(という表現が適切とは思わないが他に表現が見つからない)のか、、、その答えのような出来事(特に麦への答えのように思う)が劇中後半で起きてくるのも、切ないながら付せん回収が面白い。

「自分の絵では仕事にならない」と認めて、生活のために別の仕事に就く、というのは、今の日本では普通のルートなのかもしれません。でも、ひとりの人生として、じっくりその心情の変化を見て行くと、やっぱり切なくなります。。。麦君の絵、売れてくれ!!ってなってしまいます。(笑)

次回、二人のすれちがいが始まる就活・就職編に続きます。

 

*1:+_+

花束みたいな恋をした 感想文①

「花束みたいな恋をした」。巧妙な演出、付せん回収や、主人公たちのな心の変化を感じる言い回し、細かい仕草、そして自分自身へ投影してしまうことによるえぐられたような切なさ。そういったものを消化していくべく、感想文を書こうと思います。

物語の展開も書いていくので、ネタバレになります*1ご注意ください。

 

二人の出会い

終電車を逃した二人は、入った店先に偶然いた「押井守」に大興奮し、そのことで意気投合します。好きな小説、好きな音楽、好きな靴…とにかく趣味趣向が同じ二人は出会ってすぐ心を開きあう。同じなのは趣味だけではない。麦が小さい頃からずっと疑問を抱き、今も納得できてない、「じゃんけんで、どうしてパー(紙)がグー(石)に勝てるのか」ということを、同じように疑問に思い続けていた絹。二人は考え方も似ていました。出会って何度かのデートをした後、すぐに付き合うことになります。

この頃から違っていた価値観

これだけ意気投合していたふたりですが、全てが全て同じ方向を向いているわけでは、もちろんありません。絹はミイラが大好きで、麦はガスタンクに夢中になる。それぞれ変わった趣味をもっていて、共有できないものもありました。しかし、それ以上に違っていたのが「恋愛」への考え方。

絹は、「恋愛生存率」というブログを愛読していました。ブログに出てきた、「始まりは、終わりの始まり(恋愛は始まった瞬間に終わりに向かっている)」という言葉を映画が始まってすぐ語っています。この恋愛が終わるものだと、冷めた目で見ているわけではないけれど、一生続くものではない、とどこかで思っていたのかもしれません。劇中では、部屋の中にいつでも花を飾っていたというのに、麦に花の名前を教えない(女性から花の名前を教えてもらうとその花を見るたび、その女性のことを思い出してしまうから)、先輩カップルがおそろいのタトゥーをしていることに対して、共感できずにいる(別れるかもしれないのに??)というシーンが、それを表現していました。

一方で麦は、「女性から花の名前を教えてもらうと~」の話を聞いたあと、「教えてよ」と、聞きたがったり、先輩の腕のタトゥーに驚いている絹に、「一生続ける自信がないの?」と冗談ぽく質問します。あんまり考えていないのか、ずっと続いていくものだと思っているのかわからないけれど、「いつか終わるもの」という感覚はないようでした。

しかし、価値観の違いが、今後の展開で、二人のすれ違いを生むひとつの原因ともなっていくように感じました。まあすれ違いは、すり合わせれば良いのだけれど、どうなっていくでしょうか・・・

「同じ世界にいる人がいた!!」趣味に生きがいを感じる人なら誰しも歓喜するこの感じ。わかります。なんせ、私も映画も小説も音楽も、大衆から少しズレたところがヒットする人でしたから。わかって肯定してくれる人に出会えたら大歓喜します。そういう人ってたいてい同じような方向向いてますしね。類は友を呼ぶ、とはこのこと。

私の経験では、大人になっていくと、あの時「最高」と思っていた世界がとても狭いことに気がつきますが(ショーシャンクの空にをちょっとバカにしてたけどあれは名作だよ麦くん!)、二人は大学生。まだまだ、自分の好きな世界が一番だと信じてつき進む時期ですね。

 

あと、「このシーンいる?」と思った、絹の名前すら覚えていない一回デートしたことある男の子と焼肉食べるシーン。「余裕あっていいなと思う男は、こちらを見下しているだけ」という絹の語りが、後の展開で伏せん回収されます(と、私は思った)。

それにしてもこのカップル、マジ可愛い。居酒屋のシーンが恋愛映画っぽくて好き。小説好き男子だからの言い回しなのか、「このチケットはここで会うためのチケットだったんですね」と、言ったあとに絹を見る横顔のカットが好き「ついこんなこと言っちゃったけど、あれ、彼女はどんな反応するだろう」的な。あと、麦くんが憧れていた女子からの誘いを断って絹ちゃんを追いかけるのも気持ちの変化がわかって良いですね。

 

長くなりすぎているので、今日はここまで。

次回に続きます。

*1:+_+