ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

花束みたいな恋をした 感想文①

「花束みたいな恋をした」。巧妙な演出、付せん回収や、主人公たちのな心の変化を感じる言い回し、細かい仕草、そして自分自身へ投影してしまうことによるえぐられたような切なさ。そういったものを消化していくべく、感想文を書こうと思います。

物語の展開も書いていくので、ネタバレになります*1ご注意ください。

 

二人の出会い

終電車を逃した二人は、入った店先に偶然いた「押井守」に大興奮し、そのことで意気投合します。好きな小説、好きな音楽、好きな靴…とにかく趣味趣向が同じ二人は出会ってすぐ心を開きあう。同じなのは趣味だけではない。麦が小さい頃からずっと疑問を抱き、今も納得できてない、「じゃんけんで、どうしてパー(紙)がグー(石)に勝てるのか」ということを、同じように疑問に思い続けていた絹。二人は考え方も似ていました。出会って何度かのデートをした後、すぐに付き合うことになります。

この頃から違っていた価値観

これだけ意気投合していたふたりですが、全てが全て同じ方向を向いているわけでは、もちろんありません。絹はミイラが大好きで、麦はガスタンクに夢中になる。それぞれ変わった趣味をもっていて、共有できないものもありました。しかし、それ以上に違っていたのが「恋愛」への考え方。

絹は、「恋愛生存率」というブログを愛読していました。ブログに出てきた、「始まりは、終わりの始まり(恋愛は始まった瞬間に終わりに向かっている)」という言葉を映画が始まってすぐ語っています。この恋愛が終わるものだと、冷めた目で見ているわけではないけれど、一生続くものではない、とどこかで思っていたのかもしれません。劇中では、部屋の中にいつでも花を飾っていたというのに、麦に花の名前を教えない(女性から花の名前を教えてもらうとその花を見るたび、その女性のことを思い出してしまうから)、先輩カップルがおそろいのタトゥーをしていることに対して、共感できずにいる(別れるかもしれないのに??)というシーンが、それを表現していました。

一方で麦は、「女性から花の名前を教えてもらうと~」の話を聞いたあと、「教えてよ」と、聞きたがったり、先輩の腕のタトゥーに驚いている絹に、「一生続ける自信がないの?」と冗談ぽく質問します。あんまり考えていないのか、ずっと続いていくものだと思っているのかわからないけれど、「いつか終わるもの」という感覚はないようでした。

しかし、価値観の違いが、今後の展開で、二人のすれ違いを生むひとつの原因ともなっていくように感じました。まあすれ違いは、すり合わせれば良いのだけれど、どうなっていくでしょうか・・・

「同じ世界にいる人がいた!!」趣味に生きがいを感じる人なら誰しも歓喜するこの感じ。わかります。なんせ、私も映画も小説も音楽も、大衆から少しズレたところがヒットする人でしたから。わかって肯定してくれる人に出会えたら大歓喜します。そういう人ってたいてい同じような方向向いてますしね。類は友を呼ぶ、とはこのこと。

私の経験では、大人になっていくと、あの時「最高」と思っていた世界がとても狭いことに気がつきますが(ショーシャンクの空にをちょっとバカにしてたけどあれは名作だよ麦くん!)、二人は大学生。まだまだ、自分の好きな世界が一番だと信じてつき進む時期ですね。

 

あと、「このシーンいる?」と思った、絹の名前すら覚えていない一回デートしたことある男の子と焼肉食べるシーン。「余裕あっていいなと思う男は、こちらを見下しているだけ」という絹の語りが、後の展開で伏せん回収されます(と、私は思った)。

それにしてもこのカップル、マジ可愛い。居酒屋のシーンが恋愛映画っぽくて好き。小説好き男子だからの言い回しなのか、「このチケットはここで会うためのチケットだったんですね」と、言ったあとに絹を見る横顔のカットが好き「ついこんなこと言っちゃったけど、あれ、彼女はどんな反応するだろう」的な。あと、麦くんが憧れていた女子からの誘いを断って絹ちゃんを追いかけるのも気持ちの変化がわかって良いですね。

 

長くなりすぎているので、今日はここまで。

次回に続きます。

*1:+_+