ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

自分を愛するということ

自分が過去したこと

思ったこと

全てなかったことにできないし

許すなんてとても無理なこともある。

そういうときには、

その時何を感じ

何を考え

実際どう行動したのか

それを、うそいつわりなく、ただただ認めればいい。

ただ、直視さえすればいい。

ポイントは、善悪の判断を入れず、ただただ自分のことを「そうだった。と認めればいい。

具体的に何をしたかというと、頭だけでするのは難しかったので、ノートに全て書いたり、自分で自分に声に出して語ったりして、それをすると、「あ、今、嘘書いたな」とか「嘘語ったな」とか、感覚として、わかるようになる。それも淡々と気づき、本当はどうだったか、書き直す。語り直す。

これを思い出す限りの過去に行った。すると、自分が自分に「うそつかなくて良いんだ」「何を感じても思っても認めてくれるんだ」と思えるような感覚になった。

今、起きたむかつくこととか恐怖とかは、もっと表現が生々しくなる。

「地獄に落ちろ、消えろ!!」とか

「恐い恐い恐い○○がこーわーいー!!」とか。

書いて見せたことが、語って自分に聞かせたことが、私にとって、自分を認めるという作業だった。

そうしたら、勝手に溶けていく。

見ないようにしたり、「だって、、、」とごまかしたり、「しょうがなかったよ」と無理矢理許すと、自分自身は、納得しない。

自分には、ゲスで悪魔的で臆病で卑怯で幼稚な面があると、淡々と認めることができたとき、神様がやってきて、にこやかに言うのだ。「いい経験したねえ~😊起きた出来事の、光の面も見せてあげよう」

そして、様々なギフトをもらっていたことにも気づくことができた。

そして、私は私に言われる。

「ずーっとずーっと、愛していたよ。ずーっとずーっとだよ」

「愛していたよ」

「愛していたよ」

 

ここまで来たら、なぜ、自分を愛そうと努力していたのかさえ、わからなくなった。

私は私に愛されてるとわかった。

もうそれで充分だった。

もう少しこの感覚が進むと、

これまで起きてきた出来事の全てが、自分から贈られた愛だったとなぜだか思った。

全て必然と言われる意味も

苦しみの中の光の見つけ方も

傷ひとつなく、意気揚々と「学んでいた」本当の私がいた。

これ以上に愛する努力は必要ないだろうと思った(これって忘れてしまうものなのかな?そこはまだ経験していないからわからない)

「自分のこと好き?」と言われたら、「わからない」と答えると思う。でも自分の内側にとんでもなく愛されていることは、わかった。

こうなって感じるのは、

以前思っていた以上に、「すでに全てある」ことを確信しはじめた。

だってこんなにずっと

欲しくて

欲しくて

欲しくて

たまらなかった「愛」は、

誰でもない私が、既に、もうずっと前から、私に向けてくれていたのだから。

自分を愛すること そこに至るまでの記録 最終章

ただただ淡々と自分の全てを認める。あとは自然のプロセスに委ねる。

画像、お借りします✨

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