ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

檻に入ってしまったことを誰かのせいにすることから抜け出したら見えること

自分の苦しみが

 

親がこうしてくれなかったから

 

親がこんなこと言ったから

 

お母さんのせいだ

 

お父さんのせいなんだ

 

先生のせいなんだ

・・・

・・・

・・・

 

そういう時期もあってもいいよ。

そういう時期も必要なんだよ。(←これから何回も言ってくけどね。全て、必要だからおこってるからね)

 

そして事実、周囲の大人の言うことが大きく影響していることはあるよ。

 

でもね、誰かのせいにしても、自分は幸せになれないことに、実は気が付いてるんじゃないかな?

 

もし、そうなら、うっすらそう思ってたりするなら、「誰のせいか」という視点から、「どうしたら自分をこの苦しみから救えるかな」という視点に変えてみてね。

 

それは誰でもない、あなたのためだよ。

 

「自分が悪い」と思っている人も、同じだよ。

 

ただ淡々とみていくの。はじめは難しいけど、慣れてくれば大丈夫^^

 

私の話をするね。

 

私はずっと、自分のこと「できそこない」だと思っていたよ。

だからずっとずっと、誰かに評価してほしくて、頑張っていたの。

でもそれって終わりがなくて、すごく苦しかったんだ。

 

その原因はねえ、

小さい頃、2こ違いの妹の方が、何事もうまくできるようになっていって、

 

お父さんがそれをからかうように話していたから。

 

小学校に入ったら集団行動がうまくできなくて先生にも母にも怒られたから。

 

算数が苦手で「そうしてわからないの!?」って先生に怒られたから。

 

等々、こういう経験を通して、「私はできそこない」っていう信念をつくりあげていったっぽい。

 

小さい時はね、「自分のせい」にしていたの。

 

妹よりできない自分は劣っているからからかわれる

集団行動できない自分が悪い。このままじゃダメなんだ。

算数苦手な自分が悪い。

 

大きくなって、心理学や精神世界を学んでからは、「他人のせい」にしたの。

そんな風にからかった父のせいで辛いんだ

そんなふうに怒った母のせいで傷ついたんだ

そんなふうに怒った先生のせいで・・・

 

そういうプロセスもやったよ。

 

でも、何にも変わらなかった。

 

私は私のこと、「できそこない」と思ったままで、自分や他人のせいにしても、一瞬楽になるだけで、根本は解決していなかった。

 

そして、「私はできそこないのダメ人間です」という現実に押しつぶされて生命エネルギー0になる寸前に、手を差し伸べてくれた人がいて、なんとかエネルギーをチャージした時、

 

ふと思ったのよ。

今、この大人の私は、超未熟だ。

じゃあ母や父だって、私が小さかったころ、今よりもっと未熟だったはずだ。

私は未熟ながらに、自分の娘がどう育ったら幸せになるか考えてる(否が応でも考える)

・・・じゃあきっと母は私が集団行動取れないと、この先大変だろうと思って、怒ったのかもしれない。それは私の幸せを願ってのことだったのかもしれない。

・・・父は、妹よりできないことが多い私がかわいいと思って言った一言だったのかもしれない。

 

とかね。

 

私も実は先生をやっていたから、わかるんだけど、集団を統一しなきゃいけなくて必死で話してるのに、話聞いていない子いると、イラっとするよね(笑) 余裕ないとそうなっちゃうよね。あとは先生の中に、「自分の話はつまらない」とか「私には力量がない」とか「みんな一緒が大切」とかいう信念があると、こういう子は嫌な感じに映るということも体験したわ(笑) 話を聞かない子がいたら、「力量がない」という信念をぐさぐさ刺されてしまうから。

 

 

だからさ、なんだ。みんな一生懸命だったんだって思ったよ。

しょうがないねって。(これはとても自然に思ったこと。思わせようと無理しなくていいよ)

 

そう思って、でも過去傷ついた自分には、悲しかったねってとことん寄り添ったよ。

 

そして、「できそこない」という信念をもった自分には、「ねえ、それ真実なの?」って質問したの。「なんでそう思ってるの?」って。

 

そしたら、「だってお母さんが、そう言ったから」とか「だってお父さんがそう言ったから」とか、「だって先生が」とか出てきたから、

 

「ねえ、お父さんもお母さんもその時まだまだ未熟だったんだよね?その人達の言ったことに、間違いはないって言えるの????」と聞き返した。

 

ここまできてはっとしたの。

 

ああそうだよ。

彼らの語る全てが真実だとおもっていた頃の私は終わったんだ。

それなのにそれを真実だと思って、ずー--っとはなさなかったのは、まぎれもなく、「私自身」だ。

 

 

苦しい思い込みは

周りの大人からつくられるケースが多い。

それはそうだと思う。でも、

 

それを無意識にでも採用してここまで来たのは、

 

だれでもない自分自身だよ。

 

そして、私はその信念から抜け出し始めて、楽になったよ。軽くなったの。

 

さあ、もう誰かのせいにする時期にあきてきたら、進んでみよう。

 

苦しみのほとんどが「思い込み」「信念」にある。

 

思い込みや信念は、過去の誰かの意見や、起きた事象によって作られ、取り入れたものでできているよ

 

↑どういう意味かわかる?

 

実はあなたじゃないってこと!!( *´艸`)(朗報!)

 

だから気づいて、さよならして大丈夫よ。

「お父さんのせいで、私はこんな思い込み作っちゃったじゃない!!」を、一歩進んで、

「お父さんのあの言葉でこの思い込みはできたんだな」と、淡々と認めてあげて。

 

その思い込みを無理に消さなくて大丈夫。ただ気が付けば良いよ。

何度も何度も気が付けば、

だんだんだんだん効力は薄れていくよ。

 

それで、前の方に書いたこと、もう一回言うね。

 

あなたに起きたこと

 

あなたが思ったこと

 

誰かがあなたに言ったこと、したこと

 

全て何か理由があったり、必要だったりして起きているのね

 

だから、

他人を責めた自分も

自分を責めた自分も

思い込みをたくさん作った自分も

思い込みを作る原因となった人も

誰かに辛い思い込みを作ってしまったかもしれない自分も

全部、必要だったんだよ。

 

全部、ああ、なんだ。大丈夫だったんだ。問題なかったんだ。に行きつくための、大切なプロセスだったんだ。

 

だからね、これを読んで、責められているように感じたら(責めてないよ)、必要だなんて思えないと思ったら、

 

まだ誰かのせいでいい。

必然だなんて思わなくていい。

それだけ辛くて傷つく出来事だったってこと。

まだそこにいて、じっと寄り添ってあげていい。

 

でも、何か違和感を感じ始めたら、そのとき、ふとこの記事を思い出したら、もう一回、読んでみてね。

 

大丈夫。本当はね、あなたはとてもとても愛されていて、とてもとても守られているからね。

 

誰かの役に立てば幸いです。

 

それでは今日はこれで。

 

sumika