ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

お父さんと私⑧ 最期を受け入れる過程

日記から

例えばお守り、ヒーリンググッズ、天然石などは、とても良い波動や波長を持っていて、音を聴いたり、触れたりすると、それだけで癒しが得られるという。

人にそれは可能だろうか。触れたり、歌ったり、声を聞いたりするだけで、癒しが生まれる、天然石のような人になりたい。

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7月に入った。私はこのころから、右耳うしろから背中にかけて一直線にビキビキと痛みを感じるようになった。時々喉のほうまでムズムズと何か感じる。ようくその痛みやムズムズを観察してみると、泣きたい気持ちになった。これは泣きたいときに起きる症状なのかもしれない。

「沖縄に行きたいと思ってるんだ」と、父が少し話せる日に、新婚旅行について話した。父は少し嬉しそうに「そうかそうか」と言った。私の幸せは、やはり父を幸せにするんだなあと思った。

しかし、予定を立てようと思っていた新婚旅行も、父の状態を考えると全く行く気にならなくなった。

深夜に突然、電話がかかってきたことがあった。もう最期かもしれないから、来てほしい、という母からの電話だった。私は電話を切った瞬間パニックになって大泣きした。あまりに泣いているので、夫が一緒に付き添ってくれて、実家まで行った。

父は「辛いよ辛いよ」と言っていた。吐き気がひどいようだった。背中をさするけれど、人に触られるのも辛かったようで、拒否された。私は、父から今まで「辛い」という言葉を聞いたことがなかった。初めて聞く言葉に、なにかしてあげたかったけれど、何もできなかった。ただ、こんなに辛い状態の今が最期でないことだけ願った。

何時間かして、ようやく訪問医療の看護士さんが来てくれた。痛み止めを投与して、なんとか落ち着いた。

次の日、「今日はまだ大丈夫だろう」と、酸素マスクをした父が、声を絞って言った。父はもう、長くないだろう。というのが、私の中で、確信に変わってしまっているのを感じた。父は、毎日ほとんど寝たきりで過ごようになった。

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日記から

話ができることがどれだけ幸せなことなのかと、どれだけありがたいことなのかと、話せない状態になってようやく感じることができる。

次は、触れられることがどれだけ幸せなのか、感じる日が来てしまうのだろうか。

お父さんと私⑨に続く