ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

お父さんと私⑰ 自分で聞いたことでなければ納得できない

父が亡くなって2年経った頃、私は娘を出産していた。
妊娠後期頃から、私の心身は思わしくなかった。
体中が痛い。
口の中が痛い。

全く眠れない。
お腹がはるので、寝ていないといけない。
子宮頚管が短くなるから、動かないでと言われる。
視力が低下する。

そんな感じで、私のマタニティライフの後半は、辛いものだった。「妊娠中のトラブル」と、簡単に済まされてしまうが、私にはこれを耐えられるだけの精神も肉体的耐性も持ち合わせていなかったため、本当に辛い日々だった。(娘よ、すまん。)

とは言え、出産はすっと終わり、無事に生まれてきてくれたわけだが、(今回は「お父さんと私」の記事なのでほかのもろもろひどかった事情は割愛する)私の中には、重たい後悔があった。

「お父さんに会わせられなかった」
「生きているうちに会わせられなかった」

 

そういう後悔を、父が亡くなってからずっと、引きずっていたのだろう。この時の私はあまりにも、目に見えることを重要視し、目に見えることのみで、物事を判断していたのだった。向こうの世界にいた娘と向こうの世界に行った父が、向こうの世界で出会っている、なんて想像は、全くできる状態になかった。

しかし、そういう後悔がある、と夫に話すと、
「この子はお父さんが選んだ子らしいよ。」
と、すずしい顔で言う。
「え、そうなの?」
「うん。お腹の中にいるとき、充分遊んだから満足してるって。」
「名前は自分たちで決めなさいって。」

また仏壇の前で手を合わせて、話してきたという。ちょっと、もっと早く言いなさいよ、と思いながら、涙があふれた。でも、なんだか実感が薄い。夫は確信をもって話しているけれど、私も疑っているわけではないけれど、それでも、「そうだった」という事実として、受け入れるのが難しい。だって本人から直接聞いたわけでも、その情景を見たわけでもないのだから。

 

 

父はきっと、娘のことをかわいがってくれているだろう。そして、娘もそれを感じ取っているだろう。
娘が始めて人の模倣をしたのは、父の仏壇の前で「手を合わせる」という行為だった。
少し話せるようになったある日、仏壇の部屋の電気を消して寝床に行こうとすると、「じいじ、おやすみなさい」と手を合わせて言った。(誰も言っていないのに)。
今振り返れば、きっと父が、娘を見守ってくれていることを、娘自身がしっかりわかっていたのだろう。

 

しかし、なんて頑固な私なのだろうか。
こんなにいろいろと事象を起こしてくれているというのに、
私はまだ、納得できていなかった。

 

 

「お父さんは、病気で苦しいまま死んでしまって、かわいそうだった」
「私は何もできなかった」

 

 

この思いが、こびりついていた。はがそうとしても、はがれなかった。
そして、その中心に、
「人から聞いた話では、納得できない」と言っている私がいたのが、今ならわかる。

亡くなった人は肉体がなくなって天国にいるから苦しいことなんてない、と何人もの人に言われたし、臨死体験の本も何冊も読んだし、夫からも父はそういう場所にいると聞いた。

でも、納得いかなかった。

 

私の中に潜む、納得いかない私は、何を望んでいたのか、当時全く見当がつかなかったが、事が済んでいる今ならわかる。

 

自分自身でお父さんに聞きたい。

自分で聞いた答えでなければ、納得できない。

 

私の中にこのような望みが、確かにあったのだと思う。

 

 

次回、最終話その⑱に続く