ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

お父さんと私⑨ 看取ることへと気持ちが移行していく

しっかりと記憶していないが、あの晩のあと、点滴やら痛み止めやらいろいろなものをいつでも摂取できるように腕につけていたように思う。

新婚旅行を先延ばしにし、私たち夫婦は結婚して初めての夏季休暇を家の近くの旅館で過ごした。しかし、父の状態に不安もあって、心がざわざわと落ち着かなかった。

父の病気が見つかる直前まで、私は「うつ」と診断され、1年仕事を休職していた。その時、父がNHKでやっていた「ティクナットハン」というお坊さんのドキュメンタリーを観ていて、私も食い入るように観たのを覚えている。

こんな世界があるの?という驚きと、心を患っていた自分への希望のようなものを見つけた。何冊か本を買い、その優しい文と自分を見つめる大切さに初めて触れたのだった。

その後ティクナットハンの教えを深く理解しようとしたわけではないが、彼の本が当時の私のお守りになっていたことは、間違いない。

父の状態に落ち着かない自分に、何かお守りをと思ったのだと思う。私は旅先にティクナットハンの本と、日記帳を持って向かったのだ。

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日記から

右半身がうずうずムズムズを繰り返す。何のサインなのかわからないが、またぶり返してきた。くしゃみを出したいのに、出ない感じ。

近場に1泊2日してきた。最上階に近い広い部屋で、充分に満喫できる場所で、私は昨晩ふと、読み物として、ティクナットハン師の「気づきの瞑想」を選んだのだ。そしてこの日記帳を持ってきた。何か気づきがあると感じていたのだろうか。

部屋について、その本を深い呼吸をしながら読んでいると、胸のあたりがじんじんと痺れ出す。何か涙を流したいような気持にかられる。

本を閉じ、目を閉じて瞑想してみた。父のことが頭に浮かぶ。

旅館についてから、時々思い出していた、信州の家族旅行。

あの頃父は、体調を崩しながらも元気で楽しそうにお酒を飲んでいた。

病気が分かってからも、抗がん剤治療をしながら仕事をつづけた。しんどいながらも出勤し、出張もたまに行った。

そして、身体の無理がきかなくなり、2月、在宅医療へと移った。

抗がん剤という辛い治療に耐えた患者に、「もう手の施しようがない」。その言葉がどれだけ絶望感へと落として行っただろう。

5月ごろはそれでも体調が良く、買いもにに行ったり仕事をしたりしていた。家族みんなが穏やかに過ごせた日々だった。

それが6月中旬から徐々に崩れていった。起きていることができない。トイレに自力で行きたくても行けなくなる。食べられない、飲めない。

できることが減っていった父の気持ちを想像しただけで涙が止まらなくなった。深く見つめれば見つめるほど、その痛み苦しみが伝わり、想像でき、私の心は苦しくなった。けれどもこれは学びなのだと気づいた。

父の痛みを理解しようとすることが、私の学びであり、無理に打ち消したり、切り離したりするのではなく、深く見つめていく必要があると。父のことを思いながらした瞑想の最後には、「今父のために私は何ができるのか」「その答えがほしい」という思いがあることに気が付いた。

ひとつ、今すぐにでも実践できることとして、私がこの旅でもらう「癒し」を父に届ける、という、なんともスピリチュアルな話であった。

ティクナットハンがプライムヴィレッジで、震災で被災した日本を思って食事したという話を以前に聞いたことがあり、それをふと思い出した。ティクナットハンのように、「私が受け取る癒しや快の感覚を最大限に受け取り、それを父に届けること」を実践した。

食事は一つ一つ味わい、急いで食べない。一つ一つ父が食べている思いで、父が食べたいであろうものと残さず食べる。

お風呂では、湯につかる感覚や洗う感覚、身体の湯をふきっとってさっぱりする感覚をしっかりつかんで、父の分まで入浴を楽しんだ。

しかし、お風呂はやはり、よくもわるくも、様々なひらめきが出てきてしまうものだ。

私がうつになった時、母への感謝であふれて止まらない日があった。父に対してもあったが、それでも母ほどではなかった。父については身体の不調をとても心配し、近い将来会えなくなるような不安にかられて何度も泣いた。

それは私の過度な不安症から来るものであれば良かったものの、私が危惧した通り、父は病気であった。

父への感謝は、この病気を通して学べということなのだろうか。ふとそんなことを思ってしまった。どうして私の学びのために、父が病気にならなければいけないんだ。あんまりじゃないか。

 

そして思い出す。「孫の顔くらいは見たいな」。切実な父の言葉。

 

父は何一つ、諦めていないと思う。辛い体を起こし、この間までトイレに自力で行こうとしていた。周囲が無理だということも、やろうとしていた。

それでも身体が動かない、どれだけ辛いだろう。やはり私はまた泣いてしまうのである。

しかし、午後の瞑想中、悲しみが通りすぎて落ち着いた時、私は確かに、悲しみや苦しみ以外の、泣きそう感覚を感じたのだ。きっとそれは「慈愛」。私の中にある「慈愛」に触れたからなのだと、その時感じた。

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お父さんと私⑩に続く

ティクナットハンさんが私の新しい世界を開いてくれたと思っています。深く感謝します。ご冥福をお祈りいたします。本当にありがとうございました。