ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

お父さんと私② がんとか手術とか血栓とか

大腸の機能を回復するために、父は人工肛門の手術を受けた。本人としては、毎日五分がゆばかりだったので、人工肛門をつけて早く普通の食事がしたいそうだ。

しかし、そう簡単に進まなかった。人工肛門の手術を終えた後、父はがんセンターに入院することになった。がんが大きすぎて摘出手術はできないため、抗がん剤治療でがんを小さくするという治療方針に至った。

父は少し、元気になっていた。私はがんセンターの感じが嫌いではなかった。普通の病院よりも、明るくて、自然があったし、私には柔らかい雰囲気が感じられたからだ。もしかしたらそれは、医療終末期の患者さんがいるおかげなのかもしれない。と、今ふと思った。

父は病院でも仕事をしていた。父は仕事人間だった。平日も休日も、書斎に引きこもって仕事をする。大音量で音楽を聴きながら。多分、仕事が趣味みたいになっている。病院の方や職場の方のご配慮で、仕事に必要な機材を病室に運ぶことができ、父はもくもくと仕事をしていた。

私はその隣で、センターの本棚にあった漫画「リアル」を読んでいた。母が果物を剥いたり、父の世話をしている。

私はこの空間が嫌いではなかった。そこに悲劇はなかった。とてもとても穏やかで、父がひどい病気だということを忘れてしまうようだった。

しかし、そう簡単に自体は良い方に進まなかった。

父の足に血栓ができた。その血栓が、胸や肺に入ったら、命の危険があるという。母も気が動転して、かなり不安だったと思う。突然医師から「もし心配停止になったとき、延命処置を行うかどうか」という質問を受けていた。それでも母は、延命処置は望まない旨を伝えていた。

こうなると穏やかな日は遠い過去になる。私の心も冷静ではいられない。また不安が大きな波となってやってくる。

数日して、薬の効果で血栓はなくなり、また普通の入院に戻った。

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日記から

ビデオ屋さんに行った。私が小学生の頃、父がテレビで見ていた「奇跡の人」という映画を見つけ、借りて帰った。白黒映画は苦手だったので、当時私は何か片手間に観ていたが、ヘレン・ケラーとサリバン先生の食事乱闘シーンにはくぎ付けになって観入った記憶がある。

「奇跡の人」が父が観ていたことがきっかけで記憶の片隅に眠っていたように、父から影響を受けたものはたくさんある。

伝記ものが好きなのは、私が幼い頃、父がキュリー夫人、ヘレンケラー、ナイチンゲールの伝記漫画を買ってきてくれたからだろう。

昔の歌(特に洋楽)を懐かしく思うのは、父が酔うとよくレコードをかけ、大きな声で歌っていたからだろう。

酔っぱらった父は苦手だった。デリカシーのないことを言ってくるし、自分の話ばっかりするし、私が中、高生の時には、怖さも感じた。

父が飲み会で遅くに帰ってくる時などは、会わないように早く寝ようとした(それでも部屋に来るが)

いつからだろう。毎日部屋に来てくれた父が、来なくなったのは。あの時は嫌でしょうがなく、寝たふりをしていたのに、もうお酒を飲めない、酔うことのない父を思うと、懐かしく思える。

もう酔った父に会えないということは、レコードを大音量でかけることも、大声で歌うことも、ぺらぺらと話をすることも、ない、ということなのだろうか。

無常という、この世の流れは、悲しみと解放とを同時に生み出す。

そうやってまた、新しい時代が訪れるのだと思いながら

今はただ、気持ちのまま受け止めて、今の父も受け止めて

力弱く笑う父に哀れみの心はいらないはずだから

今までと今に感謝をする。

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お父さんと私③に続く

sumika