ほしのすみかにかえるとき☆彡☆彡

☆彡自分に戻っていくまでの軌跡☆彡

ツーリスト感想文 その①

誕生日が母と一緒で、命日が父と一緒で、出身地が隣の市だった同世代のどうしても忘れられない人(すいません勝手に忘れられません)、三浦春馬君。

春馬君ショックからなかなかドラマや映画を観れなかったが、3年かけて何かが回復しだしたのか、最近、心がぎゅーっとなりそうで観れなかった彼の出演作を次々に観ている。なんだろ。もうかっこいいとかそんな言葉じゃなくて、役への没頭ぶりが、素晴らしい。
中でも「tourisut ツーリスト」は、いろんな意味で素晴らしい作品だった。

 

東南アジアオール海外ロケというのがとても良く、日本で日常を過ごす観客たちを、すぐさま非日常の異国の地へいざなってくれる。役者さんたちものびのび楽しく撮影したみたい。
また東南アジアの空気にとてもぴったりな、韓国のバンドグループ、「HYUKOH」の楽曲がおしみなく使われている。彼らの楽曲が、映像をより異国情緒溢れるシーンへと変えてくれる。


今回は第1話の感想をつれづれなるままに。

天久真ファンなので天久分析が多いです。ネタバレありですご注意ください☆彡

第1話
水川あさみさん演じるキャリアウーマンの女性、さつきが主人公。
仕事もプライベートもパッとしない日々に満たされないさつきは、思い立ったようにバンコクに行く。違う環境で刺激を求めて、何か変わる糸口がほしくて、バンコクに来た、という感じだ。

バンコクでは欲望を満たすという目的で、一文無しになった天久真を買う。
彼女の欲望を満たすために奮闘(?)するのだが、
食事をし、ゲームをし、観光をし、ホテルで良い雰囲気になっても、さつきが本当の意味で満たされることが見つからない。

そして本当の望みについて、彼女自身もわかっていないし、気づこうとしない。
お酒や娯楽、死、徳を積むことで幸せになれるようにと、多方面に逃げていく。
なんだか自分の中にもあるなあと思う。

天久真の中にもあるのだろう。自分がどうしたいのか、わからない。わかったとしても、実現できそうにない。だから本当の望みなんて見ない。

「つまらない人生」「つまらない人」であることを認めたくない。けれど、自分自身が自分のことをそのように思っている。そしてそれすら、認めたくない。

自分の中にもある認めたくない部分。他人にそれを見たとき、イラつき、攻撃的になるのかもしれない。天久はさつきに優しさを見せながらも、時々攻撃的だった。

さつきは天久から見透かされるように、心の内を言葉で突きつけられる。それに感情を揺さぶられながら隠したかった自分の本音と向き合っていく。

さつきの「幸せ」という言葉を疑う、天久の探りを入れるような問いかけがなかなか厳しい。それは、「死にたい」と思っている彼女に気が付いてしまっているからかもしれない。
「幸せ」だと思い込もうとしているさつきを放っておけなかったのだろう。

この回の天久はアメとムチ。
「奢ってやるから感謝しろってこと?自分の力を、認めてほしい?」
と痛いとこついたあとに満面の笑みで
「振り向くように念かけてた」
天久真よ。それは無自覚か。自覚的なのか。

さつきが自分の気持ちに気がつくために意図的に言ってるのか、さつきに自分を重ねてイラツイているから言ってるのか、天久の言葉の意図はわからない。わからないけど、結構心の痛い部分をえぐってくる天久真。
ベッドに押し倒されてドキドキのシーンなのに、天久の言葉が胸に刺さって刺さってそれどころじゃあない(泣)


たださつきさんは本当は自分のことを諦めていないので、攻撃されればしっかり言い返すところが良い。
「自分のことつまんないと思ってるんだろ?」と言われれば涙ながらに「つまんなくないし!!」と押し倒されても跳ね返すし。

個人的にグッとくる展開が、物語後半に続く。
未だにはびこる男社会で、いつの間にかやりたいこととかけ離れた仕事になってしまう苦しみを吐露するシーンでは、二人の感情がぶつかり合う。

「生まれ変わりたい」
「今不幸ってことだ」
「全然」
「だったら良かった」と冷たく言われるところからの二人の会話が良い。

「やりたいことやればいいじゃん」
「大人はいろいろ調整しなくちゃいけないの」
「それがやりたいことなの?」
「違うに決まってんでしょ!!」(ここのあさみさんの言い方に泣きそうになる)
つらいけど、さつきの本音にどんどん近づいていくこのシーンが好き。そしてやはり楽曲がもり立ててくれる。

ここまでずっとかっこいいミステリアスな天久真だったが、さつきの「かっこつけたことばっか言ってるけどあんたはなんなの!?なんかすごいことでもしてきたことあんの!?」という反撃に近い問いかけに、
「…ない。つまんなすぎて嫌になる。」と本音を吐露する、ぶつけ合いのこのシーンが一番印象深い。

その後、橋の上から飛び降りようとするさつきが、天久に止められて本音を叫ぶ「欲求不満だ、くそー!!」も、自分の本当の望みを言葉にするところも素敵だった。(天久の空気読まない慰めのセリフもその後のごめんなさいも(笑)「いいじゃんそれ!」の賞賛も素敵だった)

このあと、水かけあうお祭り??ではキャラクターを忘れて、役者さんが素のまんま楽しんでいるようで、心からの笑顔に清々しくなる。春馬くんの笑い声が響いている。

空港で再び会うシーンでは、さつきが天久の耳元で何か言うんだけど、視聴者には聞こえない(天久真バージョンでは天久視線なので聞こえます)。うんうんと頷く天久の表情で、セリフを想像するのも面白い。このシーンでHYUKOHの楽曲が流れるのがとても良い。空港行きたくなる。

さつきだけでなく、天久真の心にも嬉しい変化があったように感じた。
天久は出会いを「運命」だという。
「運命」というものを、大切にしているように言う。
だから大切にさつきと向き合ったのかもしれない。

個人的に愛しい天久真くんシーン
「あれ以上引っ張ってたら後ろの人倒れちゃうし」とスリ集団の心配して手を離しちゃう天久くん。君はやさおか。それともかっこつけか。
じゃあねって言われてるのに「俺はまだ一万バーツ分の働きをしていない(天久真バージョンにて)」と思って帰れない天久くん。君は真面目か。
帰ってほしくないさつきの心情を接しちゃう天久くん。
さつきに厳しい問いかけする割には反論にされると「ごめん」という(3回くらい謝ってた)。
賭博の不正を見逃さない(そして腕の瞬発力)。
天久真がどんな人なのかが垣間見える(後に明らかになってくる部分を見ると、あー天久くんならそうかもね、となる)シーンで好きでした。
でも、天然なのか、意図的なのか、ほんとのところそこらへんがわからない、そこがミステリアス。天久真。


天久の三浦春馬くん
なんて大人の男になっていたのでしょう(遠い目)。もはや同世代とは思えない色気を放っていました。風早君だった彼は完全に大人の男になっていました。
この回の天久真の声は元々の春馬くんの声よりも低く出している気がする。だからこそこの低音で見透かされたこと言われると刺さる刺さる(笑)時々何考えてるのかわからない真顔がミステリアスで、とんでもない色気で、時に攻撃的。そんな2枚目っぽさを存分に出してくれていました。
それと対象的に大笑いするときの声は高く、少年ぽくなるのでなんだそのギャップは!!となる。
あと、「ない。つまんな過ぎて嫌になる」の言い方が弱々しくてまた違う天久真が一瞬見れる。
天久真。三浦春馬君が魅力的な人にしてくれているなあと思います。
外国語話す三浦君が素敵でした!

バンコク旅行を楽しみたい方、ミステリアスな男性に魅了されたい方、自分の心のもやもやに似てるかもって方、どうぞ見てみてください💛

自分を愛するということ

自分が過去したこと

思ったこと

全てなかったことにできないし

許すなんてとても無理なこともある。

そういうときには、

その時何を感じ

何を考え

実際どう行動したのか

それを、うそいつわりなく、ただただ認めればいい。

ただ、直視さえすればいい。

ポイントは、善悪の判断を入れず、ただただ自分のことを「そうだった。と認めればいい。

具体的に何をしたかというと、頭だけでするのは難しかったので、ノートに全て書いたり、自分で自分に声に出して語ったりして、それをすると、「あ、今、嘘書いたな」とか「嘘語ったな」とか、感覚として、わかるようになる。それも淡々と気づき、本当はどうだったか、書き直す。語り直す。

これを思い出す限りの過去に行った。すると、自分が自分に「うそつかなくて良いんだ」「何を感じても思っても認めてくれるんだ」と思えるような感覚になった。

今、起きたむかつくこととか恐怖とかは、もっと表現が生々しくなる。

「地獄に落ちろ、消えろ!!」とか

「恐い恐い恐い○○がこーわーいー!!」とか。

書いて見せたことが、語って自分に聞かせたことが、私にとって、自分を認めるという作業だった。

そうしたら、勝手に溶けていく。

見ないようにしたり、「だって、、、」とごまかしたり、「しょうがなかったよ」と無理矢理許すと、自分自身は、納得しない。

自分には、ゲスで悪魔的で臆病で卑怯で幼稚な面があると、淡々と認めることができたとき、神様がやってきて、にこやかに言うのだ。「いい経験したねえ~😊起きた出来事の、光の面も見せてあげよう」

そして、様々なギフトをもらっていたことにも気づくことができた。

そして、私は私に言われる。

「ずーっとずーっと、愛していたよ。ずーっとずーっとだよ」

「愛していたよ」

「愛していたよ」

 

ここまで来たら、なぜ、自分を愛そうと努力していたのかさえ、わからなくなった。

私は私に愛されてるとわかった。

もうそれで充分だった。

もう少しこの感覚が進むと、

これまで起きてきた出来事の全てが、自分から贈られた愛だったとなぜだか思った。

全て必然と言われる意味も

苦しみの中の光の見つけ方も

傷ひとつなく、意気揚々と「学んでいた」本当の私がいた。

これ以上に愛する努力は必要ないだろうと思った(これって忘れてしまうものなのかな?そこはまだ経験していないからわからない)

「自分のこと好き?」と言われたら、「わからない」と答えると思う。でも自分の内側にとんでもなく愛されていることは、わかった。

こうなって感じるのは、

以前思っていた以上に、「すでに全てある」ことを確信しはじめた。

だってこんなにずっと

欲しくて

欲しくて

欲しくて

たまらなかった「愛」は、

誰でもない私が、既に、もうずっと前から、私に向けてくれていたのだから。

自分を愛すること そこに至るまでの記録 最終章

ただただ淡々と自分の全てを認める。あとは自然のプロセスに委ねる。

画像、お借りします✨

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🎥マンスリー映画館 「禅ZEN」

数年前、この映画を観て、涙を流すことになろうとは、誰が予想していただろうか。

数年前の私なら、道元禅師の生涯を描いた、と、いうだけでもう観る気が失せていただろう。私には到底理解できない世界だと思っていたからだ。

毎日座禅をし、定期的に説法を聞く中で、理解できることがいつの間にか増えていたのだ。

道元禅師の思想には、私にたくさんのことを教えてくださった先生の教えがたくさんちりばめられていた。

鎌倉時代。戦が続き、天下とりが盛んになり、貧困の差も大きくなっていった時代。極楽浄土にすがりたくなる大衆たち。そのような時代に、道元禅師は生まれ、修行を行った。その人柄も悟りも、どれも胸を熱くさせる。

どんな過去があろうと、どんなことをしていようと、どんな人(人以外のその他すべてのもの)にも必ず仏が存在する。ということ。

善悪の判断を捨て、悟りたいという執着を捨て、ただただ、座り、あるがままの自分に気が付いていく、ということ。

怨霊の苦しみは、憑かれた自分自身の苦しみだと受け入れること。

生活の全てが禅であり、修行であるということ。

悟りとは無限にあり、悟りきることはできない。だからこそ、修行を続けていくべきである、ということ。

多くの人に人気が出なくてもいい。大衆に広まらなくてもいい。ただ、本当の釈迦の心を理解できる人を一人でも育て、教えを受け継いでいけるようにという道元の思い。

権力も財宝も死ぬときには持っていけない。持っていけるのは、自分がどんな行いをして生きていたか、それだけである。

娼婦をしていた自分を捨てきれないおりんへの言葉。

欲のある自分に気が付き寺を出てしまう俊了にも、いつだって戻っておいでと声をかける。

そこには、「誰の中にも仏がある」という道元の悟りがあるからでしょう。

おりんの子が亡くなった時、おりんがぐったりとして寺に来た時、その辛さをわが身のように感じ、泣く道元禅師の姿。

道元が亡くなった後、弟子たちが教えを守り生きていく姿、教えを広げていく姿。

最後、出家したおりんがこどもたちに坐禅を教えているシーンは、なぜだか涙がと止まらなかった。そこには、何の救いも求めず、悟りたいという執着もない、ただただ坐るこどもたちの姿があった。

坐禅の基本姿勢では両手で輪を作る。この中には神様がいるから、しっかり守るようにおりんが言うと、「雨が降っているから」と片手を傘をつくり、神様を雨から守ろうと考えた子がいた。なんだかもう涙だった。

特に私は熱心な宗教者ではない。だけれども、この世界には見えない力が働いていて、何に生かされているのか、と問われたとき、やはり私は「神様」という存在を否定することは、もうできないなあと思う。

この映画を観て全てがわかるわけではないですが、道元さんの素晴らしい人柄、命を懸けた説法には、心を揺さぶられる人が多いのではないのでしょうか。

仏教に興味がなくても、是非観てみていただきたい映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=fnWXt-3I1U4

続 他者評価はいらない

もう誰に評価される必要もありません。
もう誰に感謝の言葉をもらう必要もありません。

あなたは生まれたときから今まで、さまざまな神様たちに見守られていいてきました。

感謝の言葉が嬉しい、というのは、半分本当で、でも半分幻なのです。

誰かの喜ぶ顔でまた頑張ろうと思うのは、まやかしなのです。

あなたは、他者に対して、”こうしたら喜ぶんじゃないかな″ということを行動するとき、もうそれで、終了しているのです。あとの感謝の言葉をもとめてなどいないのです。

なぜなら、神様は、あなたの行いを全て見ているからです。
あなた自身が心からした行動であれば、相手の結果に一喜一憂する必要がなく、神様があなたをとても良く評価してくれるのです。

木々を大切にすれば、自然の神様が喜びます。
家を綺麗に保てば、家の神様が喜びます。

誰(人)に報告する必要もないのです。

何をすれば他者は本当に喜ぶでしょう?
何をすれば、神様は喜ぶでしょう?
それは、内なる神に従い、行動するということがカギになります。

他人からの評価や賞賛が欲しくなり、苦しくなったら、このことを思い出してください。評価や賞賛に一生懸命になろうとしたら、思い出してください。

そして、どうぞあなたの中の神様に、報告してみてください。

本当の自分の心に従うことでのみ、あなたは本当に自分の価値を信じ、満たされることができるのです。

🎥マンスリー映画鑑賞 「禅 ZEN」

年前、この映画を観て、涙を流すことになろうとは、誰が予想していただろうか。

 

数年前の私なら、道元禅師の生涯を描いた、と、いうだけでもう観る気が失せていただろう。私には到底理解できない世界だと思っていたからだ。

 

毎日座禅をし、定期的に説法を聞く中で、理解できることがいつの間にか増えていたのだ。

 

道元禅師の思想には、私にたくさんのことを教えてくださった先生の教えがたくさんちりばめられていた。

 

鎌倉時代。戦が続き、天下とりが盛んになり、貧困の差も大きくなっていった時代。極楽浄土にすがりたくなる大衆たち。そのような時代に、道元禅師は生まれ、修行を行った。その人柄も悟りも、どれも胸を熱くさせる。

 

どんな過去があろうと、どんなことをしていようと、どんな人(人以外のその他すべてのもの)にも必ず仏が存在する。ということ。

 

善悪の判断を捨て、悟りたいという執着を捨て、ただただ、座り、あるがままの自分に気が付いていく、ということ。

 

怨霊の苦しみは、憑かれた自分自身の苦しみだと受け入れること。

 

生活の全てが禅であり、修行であるということ。

 

悟りとは無限にあり、悟りきることはできない。だからこそ、修行を続けていくべきである、ということ。

 

多くの人に人気が出なくてもいい。大衆に広まらなくてもいい。ただ、本当の釈迦の心を理解できる人を一人でも育て、教えを受け継いでいけるようにという道元の思い。

 

権力も財宝も死ぬときには持っていけない。持っていけるのは、自分がどんな行いをして生きていたか、それだけである。

 

娼婦をしていた自分を捨てきれないおりんへの言葉。

 

欲のある自分に気が付き寺を出てしまう俊了にも、いつだって戻っておいでと声をかける。

 

そこには、「誰の中にも仏がある」という道元の悟りがあるからでしょう。

 

おりんの子が亡くなった時、おりんがぐったりとして寺に来た時、その辛さをわが身のように感じ、泣く道元禅師の姿。

 

道元が亡くなった後、弟子たちが教えを守り生きていく姿、教えを広げていく姿。

 

最後、出家したおりんがこどもたちに坐禅を教えているシーンは、なぜだか涙がと止まらなかった。そこには、何の救いも求めず、悟りたいという執着もない、ただただ坐るこどもたちの姿があった。

 

坐禅の基本姿勢では両手で輪を作る。この中には神様がいるから、しっかり守るようにおりんが言うと、「雨が降っているから」と片手を傘をつくり、神様を雨から守ろうと考えた子がいた。なんだかもう涙だった。

 

特に私は熱心な宗教者ではない。だけれども、この世界には見えない力が働いていて、何に生かされているのか、と問われたとき、やはり私は「神様」という存在を否定することは、もうできないなあと思う。

 

この映画を観て全てがわかるわけではないですが、道元さんの素晴らしい人柄、命を懸けた説法には、心を揺さぶられる人が多いのではないのでしょうか。


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仏教に興味がなくても、是非観てみていただきたい映画です。

お父さんと私⑰ 自分で聞いたことでなければ納得できない

父が亡くなって2年経った頃、私は娘を出産していた。
妊娠後期頃から、私の心身は思わしくなかった。
体中が痛い。
口の中が痛い。

全く眠れない。
お腹がはるので、寝ていないといけない。
子宮頚管が短くなるから、動かないでと言われる。
視力が低下する。

そんな感じで、私のマタニティライフの後半は、辛いものだった。「妊娠中のトラブル」と、簡単に済まされてしまうが、私にはこれを耐えられるだけの精神も肉体的耐性も持ち合わせていなかったため、本当に辛い日々だった。(娘よ、すまん。)

とは言え、出産はすっと終わり、無事に生まれてきてくれたわけだが、(今回は「お父さんと私」の記事なのでほかのもろもろひどかった事情は割愛する)私の中には、重たい後悔があった。

「お父さんに会わせられなかった」
「生きているうちに会わせられなかった」

 

そういう後悔を、父が亡くなってからずっと、引きずっていたのだろう。この時の私はあまりにも、目に見えることを重要視し、目に見えることのみで、物事を判断していたのだった。向こうの世界にいた娘と向こうの世界に行った父が、向こうの世界で出会っている、なんて想像は、全くできる状態になかった。

しかし、そういう後悔がある、と夫に話すと、
「この子はお父さんが選んだ子らしいよ。」
と、すずしい顔で言う。
「え、そうなの?」
「うん。お腹の中にいるとき、充分遊んだから満足してるって。」
「名前は自分たちで決めなさいって。」

また仏壇の前で手を合わせて、話してきたという。ちょっと、もっと早く言いなさいよ、と思いながら、涙があふれた。でも、なんだか実感が薄い。夫は確信をもって話しているけれど、私も疑っているわけではないけれど、それでも、「そうだった」という事実として、受け入れるのが難しい。だって本人から直接聞いたわけでも、その情景を見たわけでもないのだから。

 

 

父はきっと、娘のことをかわいがってくれているだろう。そして、娘もそれを感じ取っているだろう。
娘が始めて人の模倣をしたのは、父の仏壇の前で「手を合わせる」という行為だった。
少し話せるようになったある日、仏壇の部屋の電気を消して寝床に行こうとすると、「じいじ、おやすみなさい」と手を合わせて言った。(誰も言っていないのに)。
今振り返れば、きっと父が、娘を見守ってくれていることを、娘自身がしっかりわかっていたのだろう。

 

しかし、なんて頑固な私なのだろうか。
こんなにいろいろと事象を起こしてくれているというのに、
私はまだ、納得できていなかった。

 

 

「お父さんは、病気で苦しいまま死んでしまって、かわいそうだった」
「私は何もできなかった」

 

 

この思いが、こびりついていた。はがそうとしても、はがれなかった。
そして、その中心に、
「人から聞いた話では、納得できない」と言っている私がいたのが、今ならわかる。

亡くなった人は肉体がなくなって天国にいるから苦しいことなんてない、と何人もの人に言われたし、臨死体験の本も何冊も読んだし、夫からも父はそういう場所にいると聞いた。

でも、納得いかなかった。

 

私の中に潜む、納得いかない私は、何を望んでいたのか、当時全く見当がつかなかったが、事が済んでいる今ならわかる。

 

自分自身でお父さんに聞きたい。

自分で聞いた答えでなければ、納得できない。

 

私の中にこのような望みが、確かにあったのだと思う。

 

 

次回、最終話その⑱に続く

 

 

自分のことが許せなかったら

自分のことを許せなかったら

無理に許さなくていい

ただ″責めない”ということは、ポイントにして、

その事実をただただ、「そのとき、そうだった」と認める。

そして、今に戻り、その時より、すこしでも成長している自分に気づけば、

今の自分と過去の自分を違うものとして見ることができるだろう。

そうやって見た時、今より繰しかった自分がしたり、思っていたことに、前よりも寄り添える。

どんなことをしてしまった自分にも、あなたは癒されていいんだよ、と思える。

胸に抱いて、なでてあげられる。

そんな風に自然になるから

「許そう」と頑張るのではなく、淡々と、その時やったこと、思ったことを、ただただ認めてみてください。